【私の履歴書②『3人の生活 』母がいなくなった。】僕が小学1年生のときの5月20日だったと思う・・・

私の履歴書②『3人の生活 』母がいなくなった

僕が小学1年生のときの5月20日だったと思う。いつものように学校から戻り、近所の子どもたちが集まるルーテル公園で遊んでいた。スーパーの帰り、祖母は通りすがりに僕の遊んでる姿を見たようだった。

夕方になると米屋のおじさんが、軽四の放送カーであたり一帯をぐるぐる周り、歌を流しはじめる。
「夕焼け小焼けで日が暮れて〜♫やまのお寺の鐘がなる〜♫」
この歌が聞こえてくると、そろそろ「帰宅」の合図だ。みんな名残惜しそうに片付けをはじめる。
砂場であそび、ろくに砂を落とさないまま、いつものように帰宅。父はまだ帰ってない、母もいる気配がない。

いつもならこのタイミングで「先にお風呂で砂を落として来い!」と父に喝をいれられ、その後、直ぐに食事なんだけど、食卓には何もおかれてない。困り果てた僕は、50メートル程北側に住んでいる祖父母の家に行った。
「ばあちゃん、お腹がすいたんよ…」
祖母は何か【ひとり言】のようなことを言いながら「冷や飯」を温めてくれ、有り合わせで僕のお腹を満たしてくれた。

「としろう、今日はウチでお風呂に入りなさい。着替え(パジャマ)は、お家から取って来てあげますから」東京生まれのお嬢さん(祖母)は、僕の知らない伊予弁を使うこともあるが、感情的になると丁寧な標準語(自分の母語)にもどる癖がある…。後にわかったことだか、祖母は母が家を出ることを知っていたようだ。ただ、子どもがお腹を空かして帰ってくるのだから、「ご飯くらいは作っとかなといかん!」と、ご立腹だった。

この時点では、これからはじまる【父、兄、僕】の3人生活が始まるとは全く想像できていなかった。

次の日の朝から、朝食は50m程北にある祖父母の家で食べることになった。お昼は給食、夜は再び祖父母の家。こんな生活がはじまった。

母は家に戻ってくる気配はなく、僕はしばらくどこかに出かけていると思っていた。
3〜4週間、経った頃だったと思う、19時前後に、父が誰かと電話(当時は指を引っ掛けて回す固定電話)で、話していた。

「としろう、ほい…」と、受話器を渡された。誰だかわからず、もしもしと話したら母だった。40年前の出来事だけど、僕は「なんでお母さん、家に帰ってこんの?」と聞いたのを鮮明に覚えている…
母は、しばらく黙っていたと思う。その後、何か話していたけど、その内容は一切覚えていない…。

「なんでお母さん、家に帰ってこんの?」それが、母と最後に交わした言葉だった。
母が家に戻って来ないとわかり、僕は泣きじゃくっていた。大好きだった母がいなくなった。
それから数年間、僕は毎晩、父の耳たぶを触りながら寝ていた。どこか母の柔らかさと似ていたのかもしれない…。3人での生活がはじまり、僕と兄の母親代わりは、祖母になった。参観日、洗濯、寝小便…。小言のひとつも言わず、キレイにキレイにしてくれてた。

祖母は、偏食だった僕に、なんとか野菜を食べさせようと、近所のしらさぎ薬局で、高価なホウレン草の味がする錠剤を買ってきてくれたりもしたが「早くなくなれ」と、僕は鼻をつまみながら何とか飲みきった。「やった!」と思ったら、また新しいのを購入してきたので、僕はだんだん手を付けなくなった…。

祖父は、躾に厳しい人だった。僕と兄がテーブルに肘をついてご飯を食べていたら、最初の日にカミナリが落ちてきた。2日目に、また肘をついて食べていたら、再びカミナリが落ち、3日目の朝にはテーブルの4本足がのこぎりで切られ、畳から10cm程の高さになっていた。『お茶碗を持ち上げないと、絶対に食事ができないテーブル』が完成し、その日以降、カミナリが落ちることはなかったが、今で言う『黙食』がしばらくの日々続いた…笑

ちょうど、この頃、サッカーをはじめた。
魚屋のたかし君も誘って、スポーツ少年団に入った。たかし君の家は、地元では評判の魚屋で、家も3階建て、ファミコン、ボードゲーム、なんでも持っていた。ユニフォームはもちろん、新しいサッカー用具一式を地元の聖地「サッカープロショップいわさき」で揃え、入団の日を楽しみにしていた。我が家は裕福ではなく、兄のおさがりの色褪せたダボダボのユニフォーム…。みかねた祖母が「袖つめ、袖上げ、袖丈直し」をしてくれ、サッカーソックスだけ新しいのを買ってくれた。

この色のアンバランス感がまた嫌だった…笑
でも、ここから僕のサッカー人生が、いよいよ、はじまる。

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全国には、様々な家庭環境の子どもがいます。僕は親の所得に関係なく、あるいは兄妹が進学したから「自分は親に負担をかけないように就職しようとか」子どもが親の気持ちをおもんぱかったりすることなく、借金(奨学金)を抱えて社会人になることなく、自分の進みたい進路への道が開けるよう、後押しをしてあげたいと思っています。

投稿者プロフィール

TomochikaToshiro
TomochikaToshiro立憲民主党 愛媛県第1区総支部長
立憲民主党 愛媛県第1区総支部長
主な経歴:参議院議員,早稲田大学,公益財団法人笹川スポーツ財団研究員,愛媛FC⚽,三浦工業株式会社,ドイツ留学
松山市生まれ、木屋町育ち。妻、長男、長女の❤️四人家族。
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