【私の履歴書 ③親についた嘘】サッカー選手としての挫折。祖母井さんは、ホワイトボードに「ドイツサッカーの仕組み」をわかりやすく教えてくれた。

【私の履歴書 ③親についた嘘】

「ドイツに行かせてほしい…」僕は実家の父が、いつもテレビを見ている部屋で、正座をして頭を下げていた。23歳の5月頃だったと思う。

「としろう、大学にも、もう1年行かせて欲しい。ほしてからに(加えて)、ちゃんと卒業もしてないのに、ドイツに行かせて欲しいとは、どがいなっとんか、わしゃ〜、わけがわからん…」父は、僕の説明に納得するわけもなく、ただただ息子の将来をあんじて「一応」話を聞いてくれていた。

「ほして、ドイツに行って何をするんぞ…」

「指導者のライセンスをとろうと思うんよ。指導者やったら、長く続けれると思うし、海外のライセンスやったら付加価値もあると思うし…」

僕は、23歳なりに【親を説得できそうな嘘】をついて、理解を得ようとしていた。
この押し問答は、数回、数日に渡って繰り返されされた。

ある日、父が「としろう。これで、終わりや。お前にはもう十分経済的な支援をしてきた。南宇和での下宿生活、東京での大学生活。他の兄妹とのバランスもある。これで終わりや。」
と、言いながら餞別を僕にホイっと差し出した。

「後の人生は、自分で稼いだお金でどうにでも好きにおやりなさい。」このとき父は、僕が「まだ現役選手としてサッカーがしたい」ことを、当然見抜いていた。晴れて?これでドイツに行けることになった…。ここから渡独の為のアルバイト生活がはじまる。実は、ここまでには、たくさんの伏線があった。

大学卒業後、Jリーガーになれると思いこんでいた僕は、一切の就職活動などせず、ただひたすらサッカーをしていた。Jクラブからの入団テストや、練習生参加など、色々な話はあったが、結局入団先は決まらず…。年が明け各クラブは新体制をスタート。

「あれ…。」幼少の頃に抱いた、人生最大の夢。

【プロサッカー選手になるという夢】
が突如として僕の前から消え去った。このとき、22歳。大学4年の1月。卒業まであと2ヶ月。

【僕は、人生最大の夢を失った】
その頃、大学の同期は、皆、誰もが羨むようなところへ入社が決まっていた。有名商社、広告会社、銀行、旅行会社、機器メーカー等々、楽しそうに、卒業旅行の計画をしていた。僕は就職先どころか、人生最大の夢を失い失意のどん底にいた。でも、どうしたら良いかわからない…。心の靭帯断裂(全治余命期間)…。

この状態で故郷に帰ることは恥ずかしすぎる………。
就職活動しようにも、残念なことに、僕は就活の「いろは」が全くわからず、サッカー部の同期に色々と相談した。みんな口を揃えて「友近はサッカーで生きていく人間だと思うよ」と、助言をくれた。

「でも、もし就職活動するんなら既卒より新卒の方がいいよ」とも助言をくれた。僕も、サッカーで生きていきたい。でも、その道は、今、閉ざされている。僕は東京で「就職活動」することを決め、松山の親に連絡し大学にもう1年在籍することを(勝手に)決めた…笑

実は、大学は4年間で卒業できたのだか、ゼミの先生に頼み込み、1単位だけ落としてもらった。もちろん1年後に単位を取得できるという、お墨付きを頂いて。よし!これで「新卒」の称号が手に入る!今、思えば相当な親不孝モノだと思う…笑

親には「お前、学費が余計に1年分かかるとは、どないなっとんぞ!!」と、こっぴどく怒られた。
就職活動は新鮮だった。いわゆるリクルートスーツを着て、会社訪問、OBを訪ねたり、サッカー界では会えない人、社会からサッカーを応援できることも学んだ。そして数カ月後、就職活動は、僕の心の叫びを呼び覚ました。

就活時に求められたのは「自己PR」と「志望動機」自己PRは、これまで自分がどのように生きてきたか?自分のスペシャルな部分を心の底まで掘り下げて、お伝えしなければならない。僕は、今まで未来しか考えず生きてきたが、初めて過去を振り返り、自分がナニモノなのか?考えはじめた。稚拙な自分に答えなど見つかるはずもなく、出てきた答えは、「まだ現役選手としてサッカーがやりたい!」という結論だった。

ある日、日本でも最大手の広告代理店の面接の日だった。サッカー部の先輩にもお世話になっていた。リクルートスーツを着て面接に向かおうと、家を出ようとした、その時、何を思ったか…。僕はスーツを脱ぎ捨て、パンツ一丁、素っ裸になり、「や〜めた!!」と、大の字になり、大きく息を吐いた。

そして、どうすればサッカーができるか?考えはじめた。困ったときは、いつも石橋先生(高校サッカーの恩師)に連絡…笑

「ほうかぁ…」電話先の石橋先生は、悩ましそうな声だったけど、「今、東京やろ?ジェフに祖母井(うばがい)さんというGMがおるから訪ねてみたらどうや?」と教えてくれた。※祖母井さんは、後に日本代表監督となる、イビチャ・オシムを日本に連れてきた人だ。

僕は藁にもすがる思いで、舞浜のジェフユナイテッド市原(当時)のクラブハウスを訪ねた。祖母井さんを待ってる間、クラブハウス内を自由に見学させてくれた。中でブロンドヘアの外国人?の子どもが遊んでおり、その側で外国人女性が遊ぶのを見守っていた。後に、祖母井さんの奥様と子どもだとわかった。

祖母井さんは、ホワイトボードに「ドイツサッカーの仕組み」をわかりやすく教えてくれた。自身、ドイツのケルン大学を出て、指導者ライセンスを持ち、ドイツの方とご結婚されていた。祖母井さんの話を聞いた僕は直感的に、「ここでなら、まだサッカーができる!」と感じ、ドイツに行くことを親に相談もなく、心に決めた…。

ドイツに行くことによって、【人生の夢が大きく転換】することは、このときの僕はまだ知らない…。

【愛媛にJリーグができれば、 そこがディズニーランドになる】

投稿者プロフィール

TomochikaToshiro
TomochikaToshiro立憲民主党 愛媛県第1区総支部長
立憲民主党 愛媛県第1区総支部長
主な経歴:参議院議員,早稲田大学,公益財団法人笹川スポーツ財団研究員,愛媛FC⚽,三浦工業株式会社,ドイツ留学
松山市生まれ、木屋町育ち。妻、長男、長女の❤️四人家族。
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